『殿、利息でござる』の原作、いわゆるネタらしい。
江戸時代に仙台藩に貸し付けし、その利子を福利厚生にあてた実話。(7代藩主伊達重村公役は羽生結弦)
当時の仙台藩はもはや破産寸前までいき、その状態は100年、明治維新で事実上破産する。
仙台藩の財政方針については二代藩主から、明治維新を迎えるまで、変わらない。
仙台藩に資金を貸し付けた仙台の豪商が破綻したため、大阪の升屋が莫大なお金を貸し付けし、その利子で升屋は豪商の中の豪商となった。
しかし、その升屋も仙台藩から手を引き、弱った仙台藩は近江商人の中井新三郎に莫大な借財を任せた。が、明治維新となり、仙台藩は破産する。
殿さまに貸し付け、その利子を福利厚生にあてたやり方は、当時の仙台藩では激震が走ったらしい。
しかし藩は、貸し付けた千両に手をつけず、利子の支払いも滞り、千両も返ってこない。仙台藩は何もしない。そこで、今度は町民自ら財産を切り崩し、貧困救済を始めた、その話を聞いた藩主は喜び、褒美を与えている。
当時の仙台藩はすごい身分社会で、武士、町人、農民と分断社会制度みたいになっていた。
天明の大飢饉では武士が餓死するほどの大混乱となり、仙台藩の餓死者は20万となり、庶民は塗炭の苦しみにあった。
米沢、白河、福島藩は餓死を出さず、仙台藩は名ばかりとなっていた。
戦後まで宮城では冠婚葬祭では金銭ではなく、米をやり取りしていた。神社のお祭りでは金銭ださず、米を袋にいれて奉納した。神社には山ほどの袋が積まれていた記憶がある。金より米?
その中で自分たちの力で生きていこうとした、ひととしての生き方、道を天に示したのが国恩記の話です。
はっきり言って、国恩記が仙台藩、宮城であまり知られないのは、地元にある感情、わだかまりらしい。
戦国時代、伊達家が宮城、仙台にきたとき、記録にない消えた歴史がある。
その記憶。
それに反発して、我が身は自分でする。
そんな感じもします。
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