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2016年より、fmいずみ主宰のタピオ館立オープン大学で、講師として星の街仙台を解説してきました。 約3年半の講義は、稲辺氏が27年前に発見した六芒星、四神、グランドクロスの一部、それから歴史上ではあまり日の目を見ることのない、しかし偉業を成し遂げ殉死した伊達家の重鎮たちのこと、藩の秘密を守るために存在を消された人たちのことなど、取り上げてきました。 同時に仙台バスツアーズさんとのコラボで、マニアックな伊達家の聖地へバスツアーも開催してきました。 星の街仙台の研究を稲辺氏から引き継いだ形になってから今年で11年目に入りますが、私が研究書を発行(2016年6月)した直後に、レイラインハンター内田一成氏の【聖地観光研究所】に出会い、目からうろこが落ち、新たな発見が続々と出てきました。 それを、今年はひとつづつ解説していこうと思います。 先日の講座は、この物語の第一章の第一話の序章というつもりです。二至二分の太陽の軌道、イギリスのセントマイケルズレイライン、インカ帝国アンデス文明のマチュピチュ、近畿の五芒星とご来光の道、家康ライン、日本のストーンサークルなど、仙台のレイラインを語るうえで参考になる情報を1時間に凝縮し、紹介させていただきました。 次回は4月になりますが、1回目に受講した方は、是非連続参加してください。本題(聖なる山青葉城址を起点とした太陽信仰の遺跡)へと続きます。 *今年から、独自に講座を開設する予定です。タピ大に参加できない方や、最初から知りたい勉強したい方を対象として、1回2~3時間の講義をランダムに企画予定です。 場所や参加費は未定ですが、一回目は3月の春分の日前後を考えています。興味のある方は問い合わせのメールから連絡ください。メールのタイトルに「星の街仙台受講希望」と書いていただけると助かります。最少催行人数10名~ *こちらから返信してもメールが戻ってきてしまう方がいらっしゃいます。必ずPCからのメール受信可能なアドレスでお願いします。またはFB星の街仙台のメッセージに書いてください。
令和2年あけましておめでとうございます。 四神の青龍 松島瑞巌寺では、大晦日の21時ころから、除夜の鐘をつかせてくれます。 お坊さんがサポートしてくださり、「良いお年を」の言葉と一緒にみかんをひとついただけます。 本堂は無料でご開帳され、お参りもできます。 夜空に輝くオリオンの下、厳かな空気に鐘の音が響き渡ります。 瑞巌寺のあとは、天麟院(五郎八姫の菩提寺)の裏手の丘に建つ「日吉山王神社」に寄ります。 急な石段を上り下りし、墓地の中を通るため、観光コースからはずれているかもしれませんが(星の街バスツアーでは行きましたね)、ここは拝殿前に鐘撞堂があり、松島山内で唯一の神仏習合を守り続けている神社です。 また、ほとんど知られていないと思いますが、五郎八姫の隠し子黄河幽清(天麟院2世住職)が改修しています。 これもなにかのご縁か、ちょうど日吉山王神社をお参りしている瞬間に、年が明けました。 初日の出は、昨年までは西行戻しの松から撮っていましたが、方角的に木が邪魔をして場所取りがむずかしい。 今年は少し移動して蒲生の向洋海浜公園から、みごとな初日の出を拝むことができました。 本年の星の街仙台のテーマは『レイ・ライン』です。古代の太陽信仰を取り入れた仙台の街づくりを究明していきます。 そして、過去の講座で時々口にしていた”仙台は家康公と政宗公の密儀で作られた街なのではないか”について考察していきます。 *徳川埋蔵金(正確には豊臣黄金)の一部は仙台に運ばれた可能性。真田幸村生存説の根拠等 今年もどうぞよろしくお願いします。 山上幽峰
慶長5年(1600)12月24日、縄張り始めの日、政宗公がこの地に立って見たであろう冬至の日の出を撮りに行ってきた。 夜明け前6時半頃。 騎馬像の政宗公の顔が、しっかりと日の出の方角を向いています! 真ん中の木が立っているあたりが『懸け造』があった場所です。 残念ながら、太平洋上に灰色の厚い雲がかかり、太陽がようやく顔を出したのは日の出時刻(6時50分)から40分ほど経ってから。 晴れていれば愛宕山と大年寺山の間あたりから昇ってくると思います。 前回愛宕神社から撮った時のような強烈なパワーは放たれませんでしたが、この日を境に太陽が夏至に向かってエネルギーを増大し再生していくという、太陽神のご利益にあやかりました。 春分秋分・夏至の日の出も、この場所からばっちり拝めます。 この場所に千躰仏が祀られ(虚空蔵館)、国分氏が城を構え(千代城)、そこに政宗公がやってきた(仙台城)、千躰仏は一旦経ヶ峰へ、その後愛宕山へ遷座し、政宗公は経ヶ峰へ埋葬され、伊達家墓所は大年寺山に作られた、このレイライン上に置かれた伊達家の聖地の意味が一目瞭然でした。 青葉城址は18時以降駐車無料で開放され、車で中まで入っていけます。奥の見聞館横の公衆トイレも24時間利用出来て本当にありがたい! 夜景も日の出も堪能できる、やはりここは仙台で一番すばらしい聖地だと思います。 仙台城VRアプリで伊達政宗降臨! ~幽峰~
古代の人たちは、太陽の動きを緻密に観察し、時間や季節を知り暦を作り、祭事や農業を行った。 太陽を神格化し、崇拝し、二至二分の太陽の通り道に印を置き、聖地とした。 古代の遺跡が直線状に並ぶレイラインは、世界各地、日本にもたくさんありますが、ここ仙台にも見つけました。 写真は、一昨年の冬至です。 愛宕神社の参道を登ってくる太陽が、一番上の鳥居をくぐって、本堂とその後ろにある千躰仏を照らし、そしてその先には、瑞鳳殿と青葉城址があります。 愛宕山の広瀬川側の崖には横穴墓群と宗禅寺横穴墓群があり、そばの大年寺山には伊達家の墓、鎧塚古墳もありますね。 冬至は、太陽が死んで再生する日。政宗公は輪廻転生を願いこのライン上に伊達家の墓を作ったと思われます。 政宗公が仙台城本丸の地で縄張り始めを行ったのは、慶長5年(1600)の12月24日です。 太陽が生まれ変わる冬至を意識して、この日を選んだと考えます。 縄張り始めの朝、政宗公は重臣たちを伴い青葉山に立ち、愛宕山の向こうから登る太陽を崇めたのではないだろうか。 冬至の日の入りは、太白山の向こうへ沈んでいきます。 ↓県庁最上階から撮影 太白山の手前に青葉城址 城下の中心から見ると、青葉城の背後に太陽があって、やがて太白山の向こうに消えていくといった、当時の人々にとっては一大エンターテイメント・ショーだったのかもしれません。 星の街仙台的には、元旦の初日の出よりも、冬至の日の出・日の入りが意義深い。 詳しくは、来年1月15日(水)のタピオ館立オープン大学の講座でお話します。(詳細はメニューのスケジュールへ) ~幽峰~
(一社)いわき観光まちづくりビューロー主催、 「二至と二分・ライン上に現れる聖地は~夏至冬至・春分秋分のご来光が表すもの~」 聖地研究家...
先日、㎙いずみさんのご紹介で、某企業様の研修会にて星の街仙台の講演をさせていただきました。 場所は泉パークタウンゴルフクラブ クラブハウスにて。 80名以上の会員様とクラブハウスのスタッフさん合わせて100名ほど。 他県から転勤で仙台へいらした方も多く、熱心に聴いてくださり、講演後の懇親会では話がはずみました。(お料理も大変おいしゅうございました!) このたびはお招きいただき、誠にありがとうございました。ご縁がありましたら「続き」を引っ提げて伺いますので是非よろしくお願いします。 *講演依頼のご相談はお気軽にどうぞ。臨機応変に対応いたします。 『限りなく史実に基づいたロマン』を宮城の新たな観光資源としてご提案いたします! 当サイトの「お問合せ」から、またはFB星の街仙台のメッセージからお願いします。星の街仙台プロジェクト代表...
明治9年に、仙台の北山一帯が大火となり、東昌寺から輪王寺まで全て建物が焼失します。 この大火で唯一焼け残ったのが、青葉神社と言われている。 隣の東昌寺が全焼したのに、青葉神社は焼けなかった。 当時はさすがは政宗公を祀る神社、政宗公のご威光と呼ばれる。 一部の人は、それは龍神の加護、と話したという。 青葉神社がある敷地は元は東昌寺の敷地だが、半分にして青葉神社(明治7年)が建てられていた。 その敷地には池があり、龍神が住む場所として古くから信仰されていたらしい。 その池は、青葉神社の敷地になり、龍神が青葉神社を守護したともうわさされた。 その池はいまも残り、祖霊社のある池がそれと言われる。 ★★★★★★ 京都五山や鎌倉五山に倣って、「北山五山」と称される5カ寺...
仙台市内にある伊達政宗公の灰塚。 江戸 日比谷の伊達屋敷で亡くなった伊達政宗公。遺体は江戸から仙台に運ばれて仙台北山の覚範寺に置かれた。 遺体は遺言により経が峰に埋葬され、墓の上に瑞鳳殿が建てられた。 空になった棺は北山に運ばれて、そこで葬儀の儀式が行われた。野原での葬儀と伝わり、政宗公の子である伊達忠宗公、宇和島の伊達秀宗公親子などの伊達一族、家臣が参列したといわれ、秀宗公はこれを最後に、故郷である東北にくることはなかったといわれる。 葬儀、法事の後、棺などを全て焼き、その灰を集めて塚を築いた。これを灰塚といい、伊達家の独特の儀式とされる。 由来、始まった時期はよくわからないが、戦国時代には行っていたとされる。 政宗公の他に母の保春院、二代藩主伊達忠宗公の灰塚もあったが、現在は政宗公、保春院の灰塚しか残っていない。 戦後になり忠宗公などいくつかの灰塚が取りこわすことになり、忠宗公の灰塚跡は中学校の敷地になっている。 松島にもあったかも。 灰塚は、四代藩主により禁止されて廃止となり、その詳細はわかっていない。 埋葬した墓と祀る墓の、両墓制に関係あるともいわれています。 ★★★★★★ 保春院の灰塚は、北山の永昌寺、政宗公の灰塚は同じく北山の大願寺にあります。幽峰
2016年6月発行の『星の街仙台~伊達政宗が隠した無形の文化遺産』は在庫数10冊となりました。 再発行ありません。書店などへの納品も今後ありません。 ご注文は、当サイトの問い合わせ、またはFB星の街仙台のメッセージよりお受けします。 注文をいただきますとすぐに振込先のご案内を返信していますが、その後連絡が途絶えてしまう方がいらっしゃいます。 PCからのメールを受信拒否設定されているか、迷惑メールフォルダに入ってしまった可能性も考えられます。 こちらから2日以内に返信が無い場合は、再度確実に受信可能なアドレスからご連絡ください。 返信後5日以内に連絡が無い場合はキャンセルとさせていただきますので、ご了承ください。 ...
文化庁では現在、奈良県明日香村の国宝キトラ古墳壁画の公開が行われています。 先日のタピ大講座では、仙台城下に配された四神と、キトラ古墳の関係性をお話ししました。 キトラ古墳の石室の漆喰壁には四方に、玄武・青龍・朱雀・白虎の霊獣が描かれています。 そして天井には世界最古の天文図が描かれ、星々には金箔が貼られています。 もうひとつ壁画古墳としてキトラより前に発見されている高松塚古墳(同じく明日香村)の天井には、天文図をイラスト化した星宿図と四神が描かれています。 28宿を7つづつ、星座のグループを4つに区切り四神を配しています。 その角度が玄武98度、青龍75度、朱雀112度、白虎80度。Wikipedia四神 星の街仙台の研究書をお持ちの方は、20~21ページです。 仙台城下の四神の角度が、1300年前の星宿図と一致しています。 政宗公は、仙台の繁栄を願う手段として、単に大地形状だけではなく、天空の四神を地上に降ろしたのです。 この驚異的な天文知識と、正確な測量技術を駆使して作られた風水都市仙台。 25年以上も前に稲辺氏により発見されたこの無形の文化遺産が、日の目を見る日はいつくるのでしょうか。 星の街仙台は、これからも、六芒星・四神・グランドクロス(レイライン)を仙台の新たな観光資源として提唱していきたいと思っています。 研究書は在庫50冊となりました。ご希望の方はお早めに当サイトからお問い合わせください。FBのメッセージからも可能です。 ~幽峰~ ©星の街仙台 ©仙台六芒星