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〜grandcross〜
五郎八姫(いろはひめ)
政宗と正室愛姫の待望の第一子でキリシタン。徳川家康の七男松平忠輝と政略結婚させられるが、2年後忠輝の改易で離縁、仙台に移り住む。離縁後発覚した妊娠で忠輝との隠し子を極秘裏に出産。男児はのちに五郎八姫の菩提寺である松島天麟院の二世住職(黄河幽清)となる。茂庭綱元
伊達の三傑のひとり。軍師の家系で伊達家の内政を支えた政宗の片腕。仙台藩の陰陽師でもあり城下建設のグランドデザイナーであったと思われる。国分盛重
政宗の叔父に当たり、政宗以前の支配者であった謎多き人物。政宗の支配下になった後は国分町に商人として住む。仙台藩の隠密組織『黒脛巾組-くろはばきぐみ』のボスだったのではないだろうか。
東西ラインの西側の西館跡は綱元の屋敷であったが、政宗公没後五郎八姫が譲り受け住んだ。この地域(愛子-あやし)には、隠れキリシタンの里として様々な言い伝えや奇祭が残っている。
そのまた西にある諏訪神社は、国分氏の一の宮(この地域で一番社格の高い神社・守り神)として建てられていたが、綱元が政宗に願い出て再建している。
ここから今度は東に伸ばしていくと、榴ヶ岡の北に当たる原町本通りの陽雲寺に至る。
国分氏最後の代となった盛重氏が、戦死した嫡子盛兼を弔うために建てた寺である。
仙台城の場所には、元は国分氏の千代城があり、その鬼門には天神社が祭られていたというように、この街にはすでに国分氏が築いていた呪術的土台があったと思われる。
政宗公はキリシタンに寛容で、「切」という字を使わず「吉利支丹」を用いている。
そしてその要所要所に茂庭綱元が深く関わっているということは、綱元は仙台城下建設の「総監督」であった可能性が非常に高いのである。
グランドクロスの南になにがあるかは調査中。
*2016年6/16に新・研究書を発行した直後から、グランドクロスのライン上に次々と伊達家の聖地が存在することを発見しました。「レイライン」という概念を知ったことにより、同じ性質の意味のあるランドマークが、宮城県内はもとより県外にまで配置されていることがわかってきました。これらの研究調査報告は随時ブログ内で配信しています。また、六芒星の中心は国分町通りと定禅寺通りの交差する地点(現スクランブル交差点)ですが、研究書に記載の緯度と経度は20年以上前の計測値であり、平成14年4/1から日本測地系→世界測地系へ変わったことにより数値が変更になりました。
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