日本には、8万社以上の神社があるそうです。
と言われてもピンとこないですけど「コンビニの数より多い」で、 神好き日本人を実感。
昔はお寺と神社がいっしょくたでした(神仏習合思想)。
明治に入り天皇制になってから、寺と神社は別物に分かれ、分霊という考え方から増殖したのではないだろうか。
神道では、分霊しても本社の神霊と同じく神威は損なわれないため、無限に分けることができると考えられています。
神社の数だけでも一番多い新潟県で4786、少ない沖縄県で13、宮城は949で全国35位。
お寺も入れたらとんでもなく日本は社寺だらけなのです。
仙台の城下には「六芒星」を外れた北西部分と、南東部分にすさまじい数のお寺が群をなしています。
六芒星の真ん中には北西から南東に傾いてお寺や神社の集まり(定禅寺)がありますが、これは本丸に対しての鬼門封じを目的としていることは歴史的に説明されています。
しかし、北西と南東の部分のお寺群は、星型を描かなければその配置すら気づくことはありません。
左上の赤い点々は北山近辺のお寺群、右下は連坊辺りのお寺群です。
もっと右下にある水色部の四角い場所は、陸上自衛隊霞の目駐屯地のある霞の目飛行場です。
ここが2箇所のお寺密集地のヒントになっています。
実際自分で地図上に線と点を描いてみたら、おどろくほどみごとな一致を見せるこの方角に、当時の人たちの想いを感じずにはいられません。
霞の目飛行場は1933年(昭和8年)に、当時の日本陸軍が練習飛行場として建設したものです。
当時は「仙台飛行場」として「赤とんぼ」と呼ばれた複葉機が離発着していました。
プロペラ機は風を利用して離陸などを行うために、滑走路の向きは長年の風向測定によって決定されていました。
滑走路の向きは北西から南東です(赤線部分)。つまり、夏には南東の風が吹き、冬には北西の風が吹くということです。
同じ向きに寺社群があるということはこの「風」の方角から定められたものだと考えられるのです。
城下とはもともと軍事要塞です。敵が攻める場合の一つの方法として「火責め」がありますが、火をつけるときには当然風上からです。
そこに境内という空間を持ったお寺があると、類焼を最低限に抑えることができます。
ましてや、当時のお寺は「出城」(本城を守るための防御用)としての役割も担っていましたから、仙台の城下は「風」の攻撃にも備えていたことがわかります。
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