米沢を取られ愛姫まで人質にされた政宗公、本当なら秀吉を恨んでもおかしくはないはず。
しかしどうやら政宗公は、豊臣秀吉を好きだったようなのです。
それは小田原城を攻めたとき目のあたりにした、驚くべき光景のせいでした。
秀吉の命令とはいえ北条氏と戦争をしに来たにもかかわらず、城では毎日囲碁やらお茶やらオネーサンやら、お祭り騒ぎの状態が続きました。
戦仕立ての武士たちは、そこにおよそ10万人いたといわれています。
秀吉はこれらの人々に、戦どころか豪華な食事を提供し、[仮の城]を建てる仕事をさせていました。
まるでどこかの大きな町が、そのまま移動してきたような光景でした。
あまりの人数の多さに北条氏はビビリまくって、小田原城から攻撃することをためらいました。
おまけに、小田原城を見下ろす山に短期間のうちに巨大なお城が出現し、北条氏パニクった。
とてもじゃないけどこれでは絶対勝ち目は無いとあきらめて、完全に戦力を失い降参したのでした。
人を殺さず、兵士を遊ばせながら敵を降伏させてしまうとは。。。
豊臣秀吉の偉大な力に政宗公は感心したのです。
山に築いたお城は実は、枠のみに白布を貼っただけのものでした。
遠くから見れば立派な城壁に見えるのですが、それは本物に見せかけた映画のセットのようだったのです。
人と人が命を掛けて戦う戦争を、遊び心とユーモアで勝ち取ってしまうその人物像に、政宗公は尊敬し惚れこんだのでした。
つづく
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