「いろは」と読む。
政宗公と正室愛姫の待望の第一子。
当時は、男子が生まれるように期待を込めて最初の子には男っぽい名を用意した、という通説ですが、
(星の街仙台的には)いろは歌は48音。ヨハネとも読める。
五郎八姫は生まれながらに母愛姫の影響で洗礼を受け、キリシタンとして育ったようです。
見目麗しく聡明で、馬術や煙草もたしなみ、実弟の二代藩主忠宗公には、政治のことで
アドバイスをするほどの精彩な女性だったといわれています。
「五郎八が男だったら、申し分ない跡継ぎだった」と政宗公が言ったという。
その時代、お姫様たちは例外なく「政略結婚」のレールを敷かれた。
五郎八姫は徳川家康の六男忠輝と5歳で婚約、12歳で結婚し、20歳で新婚生活に入る。
しかし、2年後幕府の陰謀で離縁させられた。その時「子供は無し」と幕府に報告されたが、
離縁直後妊娠が発覚し、秘密裏に男子を出産している。
大久保長安事件なども絡む非常にヤバイ情勢の中、徳川家康と伊達政宗の血を引くその子は
すぐに俗世から離され、僧侶としての人生を用意された。
五郎八姫に子供がいることは、伊達家の者でも特別な許可を得ないと閲覧できない治家記録に記載されているらしい。
近年まで、だれも知ることがなかったトップシークレットのひとつ。
伊達家の研究では第一人者といわれる故土生慶子氏の著書(すでに絶版)にその名が載っていたのを、
宮城県立図書館の資料室で偶然見つけたのが6年前。
五郎八姫と忠輝の隠し子は、黄河幽清(こうがゆうせい)という。
五郎八姫の菩提寺松島天麟院の御霊屋は、2年かけて改修工事、先月完成。
希少価値の国産漆塗りです。
ほんのちょっぴりだけ手伝いました。
←漆に絶対かぶれない女。
五郎八姫は晩年、師事する洞水和尚(瑞厳寺100世で天麟院の1世)の手引きで落飾している。
幽清は、天麟院の2世住職になっていることから、洞水のもとで修業をしていたと思われる。
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