『仙台』地名ゆかりの源である「千躰仏-せんたいぶつ」が安置されています。
愛宕山の麓にある大満寺から急な坂道(または石段)を上り詰めた頂上に、そのお堂は建っています。
まさかの「愛宕神社」の西隣でした。
右側に行くと愛宕神社です。
青葉城址と同じくらいの高さがあり、この方角の眺めもすばらしい。
この日は、すこっちさんの仙台歴史探訪会に参加し、特別に御開帳いただきました。
*画像転載禁止
虚空蔵山大満寺は、元は青葉城のところにあり、約800年前、奥州藤原氏が創建したとされます。
国分氏の居城となったときには「千躰城」と呼ばれ、政宗公のときに千躰→仙台に変わりました。
仙台城の建設により、大満寺・虚空蔵堂・千躰堂は経ケ峯(瑞鳳殿)に遷座されましたが、
忠宗公の遺言で感仙殿を造営することになり、それらは、愛宕山の西と麓に遷座させました。
このときの普請奉行が、原田甲斐宗輔です。
↓ここからは、新著「星の街仙台」の2~3ページを見ながら読むとわかりやすいですヨ↓
国分氏のずっと以前から、青葉山には千躰仏を祭る「虚空蔵城」(虚空蔵楯(館))があり、その正確な鬼門方位(玉手崎-現仙台東照宮)に「天神社」がありました。
玉手崎に仙台東照宮を置くために、天神社は榴ヶ岡(奥州藤原氏が源頼朝の攻撃を防御する楯を築いた場所)に遷されました。
亀岡山には、もともと瀬織律姫が祭られていましたが、福島から氏神様を遷して亀岡八幡宮を置くことになり、
定禅寺通りのライン上(錦町公園の向かい)に遷されました。
こうしてみると、城下建設前からこの地に祭られていた神様たちは、その後城下のレイ・ライン上を転々としていることがわかります。
そしてこれらのレイ・ラインは、鎌倉~平安時代から六芒星、四神を形作る【基盤】として存在していたということになりますね。
起点は青葉山です。
政宗公はこの基盤を利用して、東昌寺と愛宕神社と大崎八幡宮を位置決めし、六芒星を描いたのです。
六芒星の傾き(約15°)は、千躰仏と天神社を結ぶ鬼門ラインに合わせたと考えられます。
レイラインハンター内田氏のひとことがズシリと響きます。
-レイラインがそこに存在する以上、そこには何かがあるのだと思うのが自然だろう-
聖地観光研究所 http://www.ley-line.net/
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