私が、星の街仙台の研究に入る7年前までは、政宗公が米沢で生まれたことすら知りませんでした。
長年仙台に住んでいながら「仙台の街を造った人」以外には、何の知識も持っていなかった。
山形県米沢市の上杉神社(米沢城本丸奥御殿跡)には、上杉謙信が祀られていますが、この場所は上杉家以前に、
伊達氏三代にわたって居城し統治していた城下町です。
上杉氏始祖の謙信はこの地に住んだことはありませんでしたが、次代の景勝が米沢藩初代藩主となりました。
重臣の直江兼続は、兜の前立てが『愛』で、「愛の武将隊」が山形を盛り上げていますね。
伊達政宗はここで生まれ24歳までいましたが、豊臣秀吉の仕置にあい、宮城県北部の岩出山に移されます。
このとき正室愛姫は秀吉の人質として京都の聚楽第にとられました。
岩出山城の縄張りを行ったのは徳川家康です。政宗公はここに12年間居城し、1600年天下分け目の関ヶ原の年にどさくさにまぎれて築城許可をとり、1601年から仙台城築城にとりかかりました。
伊達政宗公は、仙台の街を作った人ですが、出身(故郷)はといえば米沢の人なのです。
そして米沢には成島八幡神社がありますが、片倉小十郎影綱の父親はこの神社の神官でした。
影綱は伊達の三傑のひとりとなって活躍しますが、その息子が小十郎重綱で、のちに真田幸村の子供を白石城で匿うことになります。
現在、政宗公の御霊を祭る仙台青葉神社の宮司は、白石片倉家第16代当主の片倉重信さんです。
縁は脈々と現代に連なっています。
来年は、伊達政宗公生誕450年です。
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2 Comments
ちょうど昨日米沢の博物館に行って来ました。上杉神社にある「伊達政宗公生誕地」の石碑はここ4~5年前に造られました。米沢はあくまでも「上杉の地」を表に出してますから、やっと伊達家についてのことを出したみたいですね。
あの石碑は最近のものだったんですね。仙台人ですら政宗公が米沢出身だと知る人が少ないのは、米沢の町起こしメインが上杉家のため、、それからあのあたりの土地は伊達家が勝ちとってますもんね、納得です。
米沢の歴史に伊達家が出てきた背景には、400年の時を超えて和解の意味も感じられますね。