先日FMたいはくの「鈴木はるみの’ソーシャルで行こう!’」に出させていただいたのですが、
同番組の本日の収録(放送は12/27(火)夜8時)が真田徹氏ということで、はるみさんがランチに誘ってくださった。
真田様は仙台真田家13代・幸村14代で、現在東京在住ですが、16時発の新幹線まで、
約3時間にわたり同席し、コアな歴史話から、真田様の青春時代の思い出話までたくさんお聞きしました。
なかでもいちばんびっくりぽんだったのは、
通説では、幸村公は自分の部隊を赤備えにしたとされますが、
真田様曰く「赤は見たことが無い」
真田家に代々伝わる甲冑・旗・采配・手袋その他もろもろの宝物に「赤は無い」。
そもそも、部隊を赤でそろえるほどの「漆」を入手するのは不可能だったはず。
納得です。漆は血の一滴。夏しか採取できない。ウルシの木1本から採れる量はごくわずかですし、
あの時代の’赤い染料’も希少だったと思われます。
それをあの時、数百~数千人分の備えに使うとなれば、、、考えにくいかもしれない。
「真田丸」の中では、急いで作らせた甲冑の漆がまだ乾かないうちに試着した兵士が「かゆい」と言いながら
漆にかぶれた風を演じていたが。
だがしかし、やはり、あの赤はカッコイイのである。
「真田丸」は最終まであと2回ですが、幸村公は自分の子供5人を敵方の仙台藩片倉家へ預けることになります。
二男の大八君は京都の河原の石合戦で死んだことに(歴史上は)なってますが、それは身代わりの子で、
大八君は仙台藩で匿われ、幕府の手前真田性を隠し片倉家の子として育ち、仙台藩士にまでなります。
そして幸村公が亡くなってから97年目にして、ようやく真田性を名乗り仙台真田家として血脈を伝えたのです。
歴史のロマンは、真実は、文献に見る通説や歴史学者の範疇にはないところで、見え隠れしている。
星の街仙台も、まさにその分野の研究です。
御開帳いただいた、右側の赤いタグは六文銭です。
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