城のある青葉山の裏手(西側)、愛子(あやし)~定義(じょうぎ)地区にかけては
平家の落人が隠れ住んだと伝わっています。
政宗公の時代には、愛子は五郎八姫が住んだことで隠れキリシタンの里伝説が残っています。
今週土曜日(21日)のバスツアー(仙台バスツアーズ主催)は、この愛子地区を探検します。
過去記事と重複しますが、参加される方への予習です♪
前回12/3のツアーでは、西舘跡近くの薬師堂と鬼子母神堂の2か所をサプライズで御開帳いただきましたが
1/21は鬼子母神堂は寄りませんので、ご了承願います。(元々この2か所はツアーコースには入っていません)
西舘は茂庭綱元の屋敷でしたが、政宗公が亡くなると栗駒文字村(南北ライン上)に洞泉院を建て隠居、
入れ替わりに五郎八姫が譲り受けました。
薬師堂は五郎八姫が住民のために建立したとされ、中には「ろうそく食い」と呼ばれる木像が安置されています。
鬼子母神堂は、住宅街のど真ん中にひっそりと建っていますが、建立は一切不明とされ、
右手にザクロ、左手に赤ん坊を抱いた鬼子母神像が祭られています。
このお堂では、毎年旧歴8/15(マリア様昇天日)に”限られた家”だけでひっそりと行われる奇祭があります。
一家の主が袴姿で、藁で作った12膳の箸と食事を盛ったお膳を持って参詣するというもので、
その間絶対にだれにも会ってはならない、口をきいてはならない、家で待つ家族も主人が戻るまで会話をしてはならない、
という、まるで自分たちの存在を消すかのような奇妙な祭りです。
地図を見ると、この鬼子母神堂は西舘跡の『真北』に位置しています。
五郎八姫が亡くなったあと、キリシタンの住民たちが姫をお参りするために建てたと考えるならば、
徳川家康と同様、天帝である「北極星」になったのでしょうか。
西舘では、政宗公が亡くなる5年前に「夢想の連歌会」—密議—が行われました。
政宗公と12人(重臣や僧侶など)が集まって大騒ぎをしたとされます。
記録に残すほどのドンチャン騒ぎだったようですが、なにか重要事項だったから記録に残したと考えられます。
その4年後に、綱元さんが諏訪神社を造営し、そして1年後に政宗公が亡くなります。
横に一直線上に並ぶ聖地は、グランドクロス東西ライン上です。
ここで重要なことは、青木明神・安養寺・弥勒寺が、別の場所からこのレイライン上に移設してきたことです。
続きはツアー当日の講座でお話します。
ツアーには研究書「星の街仙台」がおひとり一冊付きますが、
すでに本をお持ちの方は、後半の小説「THE MASAMUNE CODE」を再読してみてください。
愛子地区は五郎八姫の縄張りです。コースが小説とリンクしますので、より楽しめるかと思います。
けっこう歩きます、登ります。防寒対策も万全でいらしてください。
当日天気に恵まれますように。
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