★新著をお持ちの方へ
6ページに掲載した絵図(宮城県図書館所蔵)は、1664年のもので、
六芒星の6地点のうち最後となる天神社(現榴ヶ岡天満宮)が建立される直前に描かれました。
現存する絵図の中からこれを選んだのは、六芒星を描きやすかったからです。
現代の地図上で6地点を結んでみると、もちろんきれいな六芒星が描かれますが、
政宗公の時代約400年前の仙台に、同じ六芒星が浮かび上がってくるのを実感できます。
この6地点は当時から変わらずここに在るのだと、自分で線をひっぱってみると、ちょっと感動しますヨ。
各地点を間違えないように気を付けて描いてみてください。(虫眼鏡をお勧めします)
12ページに掲載した(1645~1646)最古の絵図には、六芒星の中心となる交差点が存在していません。
(幕府に気づかれない様小細工したと思われる)
20年後の絵図ではちゃんとありますね(定禅寺通りと国分町通りの交差点)。
仙台藩が正式に公表していた城の鬼門は、定禅寺を筆頭とする寺社群で城に向かって斜めに配置されているのがわかります。
しかし本当のところはその先の、仙台東照宮なのだという星の街仙台の見解です。
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