伊達政宗公が、結界を張って守るべく仙台城下の建設から10年後。
慶長16年(1611)に起きたM8.1の大地震の津波で、仙台藩・盛岡藩などで数千人の死者を出した。
人、馬、田畑を失った仙台藩は窮地に追い込まれた。
政宗公は、山側の農民に対し、沿岸部の農地開拓を奨励した。
震災からわずか2年後には、支倉常長率いる慶長遣欧使節をローマへ派遣した。
このときのサン・ファン・バウチスタ号の船長はビスカイノ。
慶長の大津波当時、奥州沿岸の金銀島探索で測量中だったビスカイノは、地震と津波に遭遇し、その記録を残している。
奇しくも、慶長の大津波からちょうど400年後、東日本大震災発生。
あの日から6年目。合掌。
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