幼くして藩主となり、伊達騒動のなかで育った。父は三代藩主、母は側室、三沢初子。
伊達家の期待の星として、育てられている。
有名なことは、赤穂浪士の討ち入りの帰りに伊達家屋敷門前にて接待したエピソードがある。
伊達中興の祖とされるが、晩年は家臣の願いで隠居している。
三代藩主まで墓は霊廟を建てていたが、遺言にて墓石のみとし、みずから開基となった大年寺に埋葬された。
大年寺は、黄檗宗三大寺院のひとつとされるほどの名刹であり、綱村公の大年寺殿は大年寺が菩提寺とされたことから由来する。
以後、大年寺は伊達家の墓所となり、いまも伊達家墓所とされています。
綱村公が亡くなったのは、6月20日。いまも大年寺山にある墓所で慰霊祭が行われ、仙台伊達家歴代藩主、正室方が回向されています。
追記: 綱村公から仙台伊達家の藩主は、村の字を通字とした。吉村、宗村、重村、斉村とつづく。
宇和島伊達家も仙台伊達家から村をいただいていた。
9代周宗から宗が復活し、周宗、斉宗、斉義、斉邦、慶邦と続き、明治維新後に宗の字を当主が使うことになる。
ちなみに江戸時代は、仙台伊達家は、松平を名乗り、徳川家の将軍から一字をもらい、陸奥守に任じられていた。
江戸時代の仙台城下絵図に、仙台城に松平陸奥守とあることがあります。
-なとりのひと-
★★★★★★
仙台城下の風水で配置された四神のひとつ玄武の『亀岡八幡宮』は、綱村公の時に建てられました。
(「星の街仙台」23ページ参照)
幽峰
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