江戸時代、徳川家のフィクサーとして暗躍します。
うまれは諸説あり、会津芦名氏一族だというのが定説。
川中島の戦いを見ていたという話、僧でありながら甲冑を着て陣中にいたともされます。
徳川3代に仕え、100歳を超えて亡くなります。徳川家康に陰陽師としてアドバイスをしたともされます。
江戸城を風水を持って築城し、外様大名の運気を削るように配置、徳川家にとってマイナスな大名家をとりつぶすようにアドバイスしたともいわれます。
徳川家康の神号を、吉田神道派の大明神を退け大権現としたエピソードがあります。
また、各地に東照宮を建立し、徳川幕府を風水的に安定させようとし、天海の死後も弟子たちは行っています
墓は、日光にあります。家康が遺言にて、「藤堂高虎、天海はわがもとにおれ、死後も仕えよ」と命じています。
天海は、ある武将ともされますが、そこは謎解きになると思います。
~なとりのひと~
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