伊達晴宗の正室 久保姫。いわき地方の豪族岩城氏にうまれ、奥州一の美女といわれた女性です。
岩城氏は、佐竹、相馬、白河結城、石川などに接し、奥州藤原氏ゆかりの名門でしたが、戦国時代には没落しかけていた。
久保姫は、奥州、関東の武家から求婚されていたが、ある名家に輿入れがきまります。
その花嫁行列を武士の一団が襲い、花嫁を連れ去ります。
久保姫の婚儀にほぞを噛んだ伊達晴宗のしわざでした。
晴宗は、飛ぶ鳥を落とす勢いの伊達家の嫡子。岩城氏は、伊達家に抗議し、戦乱となりかけました。
しかし、伊達家の当主、伊達稙宗は、奥州探題にもなる策謀の主。
稙宗は、晴宗と久保姫の婚儀を認めさせ、ふたりの長男を岩城氏の当主、次男を伊達家の当主とすることで話をまとめます。
晴宗と久保姫は、仲睦まじく六男五女に恵まれ、子供の多くは佐竹、芦名、相馬、留守など奥州の武家にはいります。
長男の親隆は岩城氏の当主、次男の輝宗は伊達家の当主となります。輝宗の嫡子がかの伊達政宗公でした。
久保姫は夫の死後に栽松院と号しますが、次男 輝宗の横死、娘の嫁ぎ先の相馬、佐竹と伊達家の抗争をまのあたりにします。
晩年は、仙台に移り、夫 晴宗の冥福をいのりながら亡くなります。
父の死、母との確執に悩む政宗公の心の支えとなりがらの晩年でした。
~なとりのひと~
★★★★★★
久保姫は、えくぼが愛らしいお姫様でしたので通称「えくぼ姫」とも。
孫の政宗公を大変可愛がったそうです。
お墓は根白石の白石城址にあり、満興寺には晴宗公、栽松院、政宗公3人のお位牌が仲良く並んで祭られています。
満興寺には、政宗公が祖母栽松院の墓参りに来た際、休憩所として立ち寄ったという記録が残されています。(新著「星の街仙台」35ページ参照)
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