徳川家康公の側室、松平忠輝公(五郎八姫の元夫)の生母。美人だと伝わる女性。
浜松近くの鋳物師の妻だったが、横恋慕した武士に夫を殺され、逃れて家康公の目に止まり、側室になった説があります。
忠輝公は、「醜い」という理由で家康公に嫌われた説がありますが、生母に似ているなら美男子かもしれません。
忠輝公は、生母のもとで自由奔放に育ちます。しかし、家康公は、忠輝公の性格が長男信康公に似ていることに不安があったようです。
長男信康公は、性格が激しく乱暴なところがあり、家康公と対立していきます。
信康公の教育がおろそかになり、不安を感じた家康公は、三男秀忠公、四男を手元におき、教育したそうです。
忠輝公の性格をみて、家康公はいたく心痛したらしく、やがて勘当、流罪にします。
このとき、生母、茶阿局が許しを請いますが、家康公は許さず、かえって生母の態度を問題視しています。
生母である茶阿局は、晩年を江戸で送り、墓は新宿の寺に残っています。
三男秀忠公は、家康公と同じく教育に悩み、次男忠長公を忠輝公と同じく幽閉します。
いかに子供に教育をおこなうかは徳川家の伝統になっていきます。
~なとりのひと~
★★★★★★
先日のタピ大講座でお話した、五郎八姫が2年で離縁させられた元夫松平忠輝公の母親です。
忠輝公が家康公に嫌われた理由のひとつに「双子だったから」という説があります。
「ザ・マサムネ・コード」では双子の兄竹千代と忠輝が、幽閉先の金森城で入れ替わるシーンを描いています。(30~31ページ参照)
講座でお話した忠輝が残したとされる数々の美術品が、忠輝の性格からは考えられない繊細で優美な作品と評価される所以です。
家康公は、茶阿局の他にも側室に双子を産ませてますね。いずれもどちらかが歴史から消されています。
幽峰
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