かつて仙台にあった定禅寺。真言宗の寺院にて仙台城の鬼門にあるとされました。
伊達政宗公によって再興され、仙台藩の寺院でも格式がありましたが、明治維新にて衰退、火災に遭い、廃寺となりました。
明治には陸軍病院となり、いまの県庁そばの合同庁舎あたりにありました。
いまの錦町公園付近に定禅寺の塔頭として大聖院がありました。大聖歓喜天をおまつりし、明治以降も錦町公園付近にありましたが、戦災で焼失しています。
戦前の地図ではいまの三越の南に西本願寺別院、県庁の南も寺院が並んでいましたが、再開発で移転しています。
仙台 郊外に大聖院は移転して定禅寺からの宝燈を守られています。
~なとりのひと~
★★★★★★
研究書『星の街仙台』12ページに掲載した最古の仙台城下絵図をご覧ください。
町割りに逆らってここだけ城に向かって斜めに配置されている一角があります。ここが定禅寺を筆頭とする寺社群で、幕府に報告した鬼門です。
しかしそのななめ右上に、ポツンと”玉手崎”の丘が描かれていますね。この当時はまだ天神社でした。
二代忠宗公は、この絵図を制作し幕府に提出するために、玉手崎に立って測量や見通しを行いました。
徳川家康公の分霊許可をもらう前年のことです。
6ページの城下絵図(1664)では、玉手崎の天神社は立派な仙台東照宮として描かれています。
それから、四神の玄武「亀岡八幡宮」のところに祭られていた瀬織津姫は錦町公園内に移され、現在は公園南側の道路を挟んだビルを背にして「瀧澤神社」となっています。
幽峰
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