【あなたのそばには『風水』があるvol.7~みっくん】
先日の九州地方を襲った豪雨により、被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。
ここ数年、温暖化の影響といわれる局地的な豪雨による被害が多発しています。
日本は昔から、水の恩恵を受け生活してきた国です。反面、水害に苦しめられてきた歴史もあります。
風水による国づくりの代表例として、安倍晴明は京都をつくり、徳川家康は江戸をつくりました。
二つの都市に共通するのは、四神相応という考えに基づく街づくりがなされていることです。
その四神のうち、『青龍(東)』に当たるのが京都の鴨川であり、江戸の隅田川・中川・荒川・江戸川などです。
鴨川の治水の歴史は古く、824年には治水担当の官職がおかれ、平安末期には現在のような堤防が築かれていたそうです。
川が何本も流れていた江戸において、街づくりの取っ掛かりは治水でした。
そして家康公が行った治水事業の最たるものは、利根川を東へ移動させたことだと思います。
利根川東遷事業(とねがわとうせんじぎょう)と呼ばれ、利根川の付け替えにかかわる一連の河川大改修です。
徳川家康江戸入府後、文禄3年(1594年)に行われた会の川の締め切りからはじまり、承応3年(1654年)の赤堀川通水までがこれに当たります。
京都も江戸も、『治水』により川をコントロールして四神相応の街づくりをした結果、素晴らしい繁栄を遂げたという事になりますね。
ここ仙台も、政宗公が城下を整備するにあたり『治水』から始めたというのも忘れてはなりません。
当時の仙台城下は湿地帯で、おまけに広瀬川は谷川という状態だったため、井戸水の確保に苦労したそうです。
そこで政宗公は家臣の川村孫兵衛重吉に命じ、広瀬川の上流から支流を人工的に作り地中に水を浸透させ、井戸水の確保を行いました。
これが現在も活躍している四ツ谷用水の基礎となっているのです。
この川村孫兵衛重吉は、さらに県北の治水工事も行っています。
北上川・江合川・迫川は大雨が降るたびに洪水が起こっていたので、仙台平野北部は米作りには適さない土地でした。
しかし彼が行った治水工事のおかげで、仙台平野北部では洪水被害がほとんどなくなり、豊かな田園風景が広がる素晴らしい土地に生まれ変わりました。
現在も県北で、おいしいお米が作られるのは孫兵衛重吉のおかげなのです。
晴明や家康公、政宗公の時代とは比べ物にならない技術力がある現代、いま一度『風水』と『治水』の考えによって、災害のない街づくり・国づくりをしてもらいたいですね。
★★★★★★
もうひとり忘れてはならない仙台藩の土木エンジニア「横澤吉久(将監)」。
支倉常長が帰国することになりサン・ファン・バウチスタ号の船長となりアカプルコへ迎えに行って、無事に常長さんを帰国させた人です。
キリシタン後藤寿庵の治水工事に共感し、泉区の「将監沼(堤)」を築堤したことでも知られています。
帰路の途中のマニラで洗礼を受けましたが、帰国後棄教して迫害を免れました。
この横澤家代々の墓が、なぜか松島の大仰寺にあります。調べていくと、複雑な系譜が見えてきます。
来週25日のバスツアー第四弾コースのメインで大仰寺に行きますので、解説しますね。
幽峰
Comment
大仰寺のお話聞きたい!
絶対、2回目のツアー、催行させて下さいね!!