伊達家9代大膳太夫政宗公夫人。石清水八幡宮の社家である紀氏の生まれとされ、母方の先祖は順徳天皇とされます。
伊達家9代政宗公の正室として、東北に下り、氏宗公を産みます。(伊達家は、順徳天皇の血も引くわけですね)
姉は御所に入り、後円融天皇を産み、もうひとりの姉は足利義満を産みます。
伊達家は、天皇家、足利家と縁戚になります。
後年、伊達家が京都に太いパイプをもち、奥州守護職となるのは、輪王寺殿の縁戚からです。
輪王寺殿の産んだ伊達氏宗公は早く亡くなり、氏宗公の子が伊達氏を率いることになります。
夫人の死後、孫の伊達持宗公が菩提寺を建立。祖母の冥福を祈ります。それが輪王寺にあたります。
伊達家が仙台に移ると、輪王寺も仙台に移ることになります。
私事になりますが、父方の本家の菩提寺は輪王寺の末寺にあたります。
戦国の伊達政宗公(第17代当主)は、輪王寺殿の夫、大膳太夫政宗公から『政宗』の名を頂いています。
~なとりのひと~
追記
輪王寺殿さまの母が順徳天皇の子、忠成王のひ孫との説。順徳天皇は、佐渡に流され、亡くなり、忠成王は京都に暮らします。
順徳天皇は、父の後鳥羽天皇とともに鎌倉幕府を倒すべく承久の乱を起こします。敗れた順徳天皇は佐渡に流され、亡くなります。順徳天皇の子、忠成王は、順徳天皇の母の保護を受け、京都に暮らします。四条天皇の死後、朝廷は忠成王を天皇にしようとしますが、鎌倉幕府が反対したため実現しませんでした。足利義満が天皇になろうとした説は、母方の先祖になる順徳天皇の子、忠成王のいきさつからだともされます。
足利義満の母が忠成王のひ孫とされ、義満は本当の天皇は我が血筋と考えていた。足利義満の菩提寺の鹿苑院(金閣寺)では、義満の法名は鹿苑院法皇。義満の死後、後小松天皇(義満のいとこの後円融天皇の皇子)から法皇と贈り名されたからでした。
★★★★★★
伊達氏が天皇の血を引くことは、裏鬼門探しの重要なヒントになるかもしれません。
幽峰
2 Comments
今さらのコメントで、すいません。
輪王寺殿が、九代政宗公の奥方なのは、存じてました。
そのため、最初輪王寺は梁川に建てられ、その後伊達氏の移動とともに仙台まで来ました。
さて、日光東照宮側にある輪王寺は、他の輪王寺殿という方のお寺なんでしょうか?
日光の輪王寺は、仙台の輪王寺とは関係はありません。日光の輪王寺は、奈良時代からありますが、江戸時代に輪王寺と名乗り、宮様が京都からくだる門跡寺院でした。
仙台の輪王寺は供養のための寺になりますが、日光の輪王寺は祈祷するだけの祈祷寺です。供養は上野寛永寺でしていました。
江戸時代に京都からくだる宮様は、輪王寺宮として比叡山、寛永寺、輪王寺の住職として徳川家のため祈祷、徳川家の供養のみをしてました。
宮さまは明治維新までいて、最後の輪王寺宮は、北白川宮にあたり、竹田恒泰さんの曽祖父にあたります。
仙台の輪王寺は曹洞宗、日光の輪王寺は天台宗なので関係はありません。ただ、日光の輪王寺は歴代の輪王寺宮を供養し、おまつりはしています。
~なとりのひと~