仙台藩2代藩主伊達忠宗公の御霊屋である感仙殿。瑞鳳殿そばにあり、戦災で焼失しました。
再建のため、発掘されるのですが、忠宗公の棺の上に蓋石としておかれていた石に、梵字が刻んであったそうです。
調べると、鎌倉時代に造られた石碑を蓋石にしたらしい。
かつて、仙台城の麓に寺院があり、その寺院にあった石碑を蓋石にしたという推測がなされた。
おそらくは真言宗、天台の寺院らしく、千躰仏との関わりも推測された。
仙台城は、かつて虚空蔵城という城の跡に建てられている。虚空蔵菩薩をまつる城。虚空蔵菩薩は、真言宗の開祖、空海ゆかりの仏で、明けの明星、金星のこと。
仙台城は、金星だった!
真言宗の寺院だと、陸奥国分寺との関わりもありそうです。
蓋石とされた梵字石は、いま、感仙殿そばに残されています。
★★★★★★
仙台城下のレイラインは、開府以前から「土台」があって、それを知っていた陰陽師や軍師が政宗公とともに計画を練り築きあげた、と考えるのが自然ですね。仙台藩が高野山との関わりが深いことも納得がいきます。
千躰仏は、築城により引っ越す際、数か所の寺に分けて安置されたそうです。
現在愛宕山にある千躰仏(大満寺管理)は、当時のものと、千体そろえるために後から新たに作られたものが混ざっているそうです。
良く見ると、色の違いでわかります。~幽峰
Leave a reply