天神様は、いまは菅公(菅原道真)とされてますが、これは明治維新の神仏分離からかもしれない。
仏教を廃除して、神様を決めるとき、天神を菅公、天之御中主神にした。
菅公は、天満大自在天、天之御中主は、妙見菩薩として仏様だったのです。
仙台市にある天満宮は、もとは天神社とされ、もとは玉手崎にあった。(現仙台東照宮)
むかし、天神は北極星ともされていたとする。見立て風水でみると、玉手崎の天神社を北極星の北とみると、南に仙台城跡があたる。
江戸初期に天神社は、現榴ヶ岡に移されて、玉手崎に東照宮が創建される。
日光東照宮の上には、江戸の真北-北極星がまたたく。つまり、東照宮は、江戸の北極星。
仙台の北極星-天神社がある玉手崎に、江戸の北極星-東照宮をおいたかもしれない。
余談として、東照宮の本地仏は「薬師如来」で東方瑠璃光浄土の仏様。仙台東照宮には、「薬師如来」と西方の「阿弥陀如来」も祀られていた。
北、東、西の神、仏。恐るべし、天海僧正!
土生慶子先生の本に、仙台東照宮には徳川家康公、本多忠勝、藤堂高虎が祀られていたとある。
北極星としてあった天神社に、江戸の真北-北極星の下にある東照宮を置く。さすがは徳川幕府と思うんだけど。
★★★★★★
伊達家の神様たちが、城下のレイライン上を転々と引っ越ししている話は何度も講座などでお話してきました。
この見立て風水で改めて、仙台が『星の街』であることを実感させられますね。
青葉山に国分氏の城があったとき、すでに玉手崎には天神社が祀られていました。(*星の街仙台12ページ参照。最古の城下絵図にもぽつんと描かれています)
国分氏は、天帝である北極星を「北」に置いたと同時に「鬼門」の意味も持たせた。。。国分氏も恐るべし。
*天神社の引っ越しの経緯は星の街仙台10~11ページ参照。家康公の分霊の経緯は15ページ参照。
幽峰
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