伊達真美さん、現当主の実妹が書かれたエッセイ。
その中に、山形県高畠町にある資福寺跡にある遠藤基信さまの墓について書いてある。
遠藤基信さまは、伊達政宗公の父、伊達輝宗公の死を悼み殉死された。
じつは、遠藤基信さまは初めは自宅で腹に刀を刺している。そのときは止められ、一命を取り留める。
しかし、資福寺跡にある輝宗公の墓前で自害されている。
そのとき、資福寺跡にある石に裏返した畳を敷き、その上にムシロを敷いて座して死んだ。
その石は、いまも資福寺跡にある。
『伊達家の風景』を再読して、その石を見たことも思い出した。資福寺跡にて見たことを。
★★★★★★
遠藤基信は、輝宗公政権時の家臣団を代表する立場で、のちに政宗公の片腕となった片倉景綱を見出し小姓に推挙した。
また、政宗公に嫁すことになった愛姫を、福島の三春の河原まで迎えに行った一行の責任者でもあった。
幽峰
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