昔、徳川家斉という将軍がいた。その頃、徳川幕府は最盛期を迎え、もっとも安定した時代。化政文化のころ。
徳川家斉には50人を超える子がいて、その子たちの身の振り方が幕府の頭痛の種だった。
そんな時、仙台伊達藩の藩主(先代の仙台藩主の婿養子となり、藩主となる)が、若くして亡くなった。
幕府は、家斉の子を仙台伊達藩に送り、未亡人となった先代の藩主の息女に娶せるように命じる。(*めあわせる-結婚させる)
伊達藩の重臣たちは幕府に逆らえず、この養子話を受け入れる気でいたが、ある中堅の藩士が幕府に楯突いた。
「伊達家は、政宗公の血を伝えています。他家からの養子は認めたくない。まして、亡くなった藩主の養子となることは、その未亡人は養母にあたる。養母と結婚するは人倫にもとる」と猛反発した。
幕府は、それも然り、と養子話は無くなる。
仙台伊達藩は、急いで一族から養子を迎え、亡くなった藩主が側室に産ませた息女と娶せ、藩主とした。12代藩主である。
時代が幕末にむかう前夜のことであった。
追記:なとりのひとより
この記事の伊達家臣は、サンドイッチマンの伊達みきおさんの先祖だった。伊達さんのひいおじいちゃんの三代前の大條道直。
伊達さんの先祖は、9代政宗公の兄弟で大條氏を名乗るが、明治維新後に伊達に戻っています。
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