山形市の最上義光歴史館にある「伊達政宗の母 義姫」の記事に、義姫が伊達政宗公を暗殺しようとしたことから、次男小次郎君を殺害され山形に出奔した説に、疑問を呈している。
伊達家の公式記録には、天正18年に小次郎君が殺害され、義姫が山形に出奔したとある。
しかし、資料によると、その数年後の文禄3年11月に伊達家に関係が深い雲居禅師が大有禅師に宛てた「11月4日に義姫が山形に出奔したが、ご存知か?」との書状が見つかる。
文禄3年は、朝鮮侵攻を豊臣秀吉が行ったころで、伊達家は岩出山に居城があった。つまり、義姫は岩出山にいたことになり、小次郎君の墓がある場所(登米市津山町)に近い。
また、伊達家の公式記録に、政宗公が側近(茂庭綱元?)にあてた書状が付録されていて、
「母が小次郎をたてて、伊達家を二分しようとしたので、亡き者(この世にいないこと)にした。自分の口からはいえないので、(綱元が)よく考えて世間にそのようにひろめよ」との手紙がついている。
想像すると、政宗公は小次郎を殺したことにして茂庭綱元に隠匿を命じた・・・・・のでしょうか。
小次郎君を僧にした説もあり、これが真相か・・・。
★★★★★★
研究書「星の街仙台」の後半に併載した小説「ザ・マサムネ・コード」では、小次郎は生かされ僧になり、あきる野市の大悲願寺の秀雄和尚となり、五郎八姫の隠し子黄河幽清の教育係りとなる。5歳になった幽清は、政宗公が所望した大悲願寺の萩(白萩文書)と一緒に、秀雄和尚に連れられ仙台の根白石に匿われる。
津山町にある小次郎の墓はダミーだが、少し下ったところにある守役の小原縫殿之助の墓は本物である。
小次郎君の死を真実に見せるため、小次郎の墓前で殉死させられた。
あまりにも不憫な小原縫殿之助さんのお墓詣りを兼ねてバスツアーを企画したいのですが、いかんせん、途中の山道がバスが通行できるかどうか…
幽峰
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