冬至は、その日を境に陽が長くなる「太陽が生まれ変わる、再生する」という古代からの太陽信仰。
クリスマスはもともと冬至を祝う祭りに、キリスト教が便乗して世界に広めた。’イエス・キリストの誕生日ということにしよう’
日本では意味も分からず「メリークリスマス♪」で盛り上がり、その1週間後には、神社の鳥居をくぐって初詣。
宗教を’イベント’としてとらえる日本人独特の宗教観が、宗教戦争を生まずにきたのかもしれない。
が、国内には、二至二分の太陽の動きを意識した聖地が各地にあることを、レイライン・ハンターの内田一成氏のサイト聖地観光研究所 レイラインプロジェクトで知ることになった。
冬至の太陽が神社の鳥居の正面に昇り、光は参道を進んで本堂に達し、御神体を照らす。という厳かで神々しい光景をこの目で見てみたいと思い、仙台城下に探していた。
まだ調査途中のため、備忘録とする。
400年前、仙台城下の中心は芭蕉の辻だったので、ここから冬至の日の入りを見た時、太陽は青葉城の背後に沈んでいく。
そのとき’懸け造’に政宗公と重臣たちが太陽をバックに立ち並んでいたと想像すれば、すごい演出だ。恐るべし。
県庁18F西側展望から撮ってみた。ここは六芒星のほぼ中心位置で、芭蕉の辻から少しずれるため、青葉山ではなく太白山の背後に沈むのが見られる。
画像の左側が青葉城址、太陽の右下に太白山。
太白山の後ろに宮城蔵王、その稜線に沿って沈んでいく。雲が厚く見え隠れ、この日(12/22)はここまでが限界。
今度は、青葉城から冬至の日の出を見た場合。愛宕山山頂には愛宕神社。標高は同じくらいと思われる。
愛宕山山頂から真東を撮る。正面に太平洋。
参道の石段は約300段。少しくねりながら四つの鳥居とひとつの門をくぐる。日の出の方角とほぼ一致する。画像は中腹あたり。
愛宕神社本殿に太陽の光が射すと予想。この石鳥居が最古。
ここで特筆したいのは、愛宕神社本殿の後ろ(西側)に、「千躰仏 せんたいぶつ」のお堂(大満寺管理)があること。
千躰仏は、平安の頃より青葉山にあって、政宗公が築城の際に一旦経ヶ峯に移し、その後愛宕山の麓の大満寺に置き、その後愛宕山山頂に遷座した。
千躰仏は、仙台の地名に由来するもので、青葉山には政宗以前の支配者国分氏の城「千躰城」があった。
本丸と愛宕神社を結ぶラインが、冬至の日の出方角になるわけです。千躰仏は青葉山から経ヶ峯(瑞鳳殿)を経て愛宕山山頂へ。
このライン上を転々としているのがわかる。よくできてるな~のひとことに尽きます。
ちなみに六芒星の他の神社は全て南を向いています。幽峰
☆お知らせ☆
星の街仙台でその後発見したレイラインは、レイラインハンターの内田さんに助言をいただきお世話になっています。聖地観光研究所レイラインプロジェクトhttp://www.ley-line.net/index.html
その内田さんが、きょう(12/27)の夜8時15分からNHKドキュメンタリー【さし旅「神社マニアと巡る初詣開運ツアー」】に出演されます。https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92357/2357123/index.html?c=housou
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