*先日開講した講座で、仙台藩の陰陽道と鬼門ライン上の神社の発見をお話しましたが、なとりのかたより新情報、備忘録。
■天曹地府祭
陰陽道の祭とされ、天皇、将軍が行う祭とされる。伊達政宗公も仙台でこの祭をしている。
土御門家(つちみかどけ)の当主が京都から仙台に降り、秋保で川遊びしていると記録に残っている。
土御門家の神道を学び、天文学者として名取春仲氏が江戸後期に仙台藩からでてくることを記しておく。
■渋川春海のこと
徳川幕府の天文方を務めた渋川春海。もとは安井算哲として幕府の囲碁の司家にうまれた。
のちに保科正之公、徳川光圀公の後押しもあり、暦の改暦に成功して、幕府の天文方として渋川家を起こす。
古代からの文献に頼る朝廷の天文方に対して、徳川幕府はオランダ、イギリスの西洋の天文学を取り入れている。
徳川幕府が京都に二条城を立てる際、朝廷は北極星を真北としているのに、イギリスからの方位磁石を取り入れて、緯度、経度に合わせて二条城を建てる。
京都の東西、南北の道の区画に対して、二条城の形がずれているのはそのため。
渋川家の三代目として仙台藩士が養子となり、渋川家を継ぐ。幕府と仙台藩には天文方として繋がりがあったらしい。
もっとも仙台には天文方の文献がたくさんあり、明治維新後に宮城県図書館が受け継ぎますが、戦災で焼失しています。
■荒巻 神明社
仙台市荒巻にある神明社。
荒巻は、昔は荒牧と書いて、牧場 マキバだった土地。
ここに伊達家が伊勢から神を迎え、神明社を建立する。榴岡にあった神明社とともに伊達家に崇敬されたらしい。
明治になり、神明社は桜岡公園に移転、拡張されて桜岡神明社、いまの桜岡大神宮となっている。
荒巻の神明社の近くにある天神社は、江戸時代に台原で見つかった玉手崎の赤塔天神の御神体を祀るとされている。
かつて、玉手崎にあった天神社は、荒巻にあったともされ、または台原の瞑想の松あたりにあった説もあります。
玉手崎は、説では国分氏の居館跡ともいわれ、いまは仙台東照宮があります。
参考文献 開校50周年記念 わたしたちのあらまき 仙台市立荒巻小学校
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荒巻にあった神明宮は、4代藩主綱村公により藩主継承時には必ず参詣する慣習がつくられ、藩内の有力な寺社のひとつとなった。廃藩置県で後ろ盾を失うが、大町の商人らにより広瀬川を望む名勝地の元柳町(現西公園内)に遷宮され、のちに現在の桜岡神宮の場所に遷宮された。これが、偶然か必然か、仙台城の鬼門ライン上にぴたりと一致している。
幽峰
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