瑞鳳殿そばに残る鹿児島県人墓地。西南戦争で敗れた西郷軍の人たちが眠っています。
西郷軍の捕虜が明治政府の裁判を受け、仙台に送られてきた。
かつて、伊達政宗公の隠居城である若林城跡を伊達家が献上し、宮城集治監が作られ、政治犯を収容することになった。
仙台に送られた旧薩摩藩士の中には、西郷隆盛のいとこで大山巌の弟もいたとされる。
伝承では、宮城集治監から来た囚人が仙台沿岸にある貞山運河の改修に関わり、病に倒れた囚人を穴にそのまま投げ込み、埋めた。いまも埋まっているという、仙台空港そばに伝わる話でした。
★★★★★★
ここだけの話:昔、知り合いが東北のとある町のフリーマーケットで、古めかしい写真を入手した。写真館で撮られた4人(うちひとりは子供)が写る集合写真で、裏にはそれぞれ名前が記されている。その真ん中に立つ人物の名前が「西郷吉之助」、となりが「西郷隆盛(影武者?)」。しかし、私たちが知っている西郷どんのイメージとは、どちらもあまりにもかけ離れている。本人と思われる真ん中の人物は、細身で立派な髭があり神経質そうなまなざしだ。この写真が’本物’かどうかは別としても、薩摩藩と仙台藩の関わりから、その写真が東北に存在していても不思議ではない。~幽峰~
3 Comments
西郷隆盛は、写真嫌いで残っている写真はない!とのことですよね。だから、教科者で見る西郷の写真も上野の銅像も別人なんでしょうね。
さらに西郷隆盛という名前も本人ではなく、親族の名前らしい。
そもそもそんなよくわかってない人を持ち上げ偉人扱いしていること自体、私たちは官軍教育をおしつけられているんでしょうね。
影武者がいたほどですから、用心のために顔を公表しなかったという説もありますね。大河ドラマの’西郷どん’はかなり魅力的な人物像で、面白いです^^
西郷隆盛は、明治政府にとって最大の敵です。故に写真を全て処分させて、抹殺します。むしろ最大の怨霊。
西郷を認めることは明治政府にはできない秘密があるらしい。靖國には未だ西郷はまつられないでいます。
明治政府を熱烈に支持したのは戊辰戦争で負けた側です。とくに仙台はそうです。施政側が明治政府に従い、利用したと見るべき。勝ったとされる薩摩、長州、土佐、京都はむしろ明治政府には批判的です。いまもそうです。
そこが東北にいると見えないかと。
伊達政宗公が 伊達の軍法には敵味方ごさなくそろう、と言い残しています。
敵味方であっても戦場でのこと、あとはあとくされなくあるべき。これぞ伊達ものでしょうね。
だから、仙台のうそこぎ、理屈こき、と東北から嫌われる原因かも知れません。