星の街仙台は、太陽の街、また月の街であるかもしれない。
今、太陽の通り道を調べていて、そのカギとなるのが愛宕神社です。
先月のバスツアーと先日のタピダイ講座でお話しましたが、愛宕神社が愛宕山に創建されたのが1603年ではないかもしれないことが発覚し、愕然としています。
神社の由緒原文からは、米沢から岩出山へ、そして仙台開府とともに1603年元寺小路に仮遷座し、同年愛宕山へと書いてある。
が、wikiによれば、1603年に荒牧村に遷座し、同年元寺小路(鬼門の定禅寺を筆頭とする寺社群の一角)に造立、そのなんと47年後の1650年に、二代忠宗公によって愛宕山に建設し移転したとある。
wikiが本当であれば、1650年以前に愛宕山に何があったか。判明しているのは中腹にある古墳時代の横穴墓群(人骨が発掘されている)。
青葉山と愛宕山を結ぶラインは、冬至の日の出の方角に一致し、このライン上には、もうひとつ宗禅寺の横穴墓群があり、近くには兜塚古墳と伊達家の墓大年寺、それと瑞鳳殿(経ヶ峰)もライン上にぶつかっている。
冬至は太陽が死んで生まれ変わる日。古代の人々の来世を願う信仰と死生観が、このライン上に浮かび上がってきた。
仙台開府以前から青葉山にあった「千躰仏」は、仙台城建設にあたって、経ヶ峰から大満寺(愛宕山麓)、愛宕山頂へ、このライン上を転々としている。
-虚空蔵山大満寺は、今から800年位前、奥州藤原氏が創建したと伝えられ、その昔青葉城址にあったとされる。大満寺の虚空蔵堂が主塔であったので、此の城を『虚空蔵城』とか、『虚空蔵楯(館)』と号し、国分能登守(こくぶのとのかみ)の居城となった時、それを千躰城(のちの仙台城)と改めた-大満寺歴史より
二代忠宗公が亡くなると遺言により経ヶ峰の政宗公霊廟近くに感仙殿を造営することになり、大満寺、虚空蔵堂、千躰堂を、現在の愛宕山の西と、その麓に遷座させた。この時の普請奉行が、原田甲斐宗輔!!
~幽峰~
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