仙台にある神社仏閣を線で結ぶと六芒星の星になる説。歴史的資料がなく後付けとも言われるが。
この六芒星は、おそらく易経に則り作られた。または六十干支(ろくじっかんし)。
空間 時間を六十パターンに分けられる六十干支。易経による周易。
では何故、歴史的資料はないのか? それは徳川家康公が陰陽道を独占し、禁止したから。
徳川幕府が明治維新まで完全に禁止して資料まで発禁にした。
ただ、天文学、占いは認めていた。歴史的資料でも徳川幕府が発禁にしたのは知られていない。
伊達家で起きた伊達騒動は、実は徳川幕府が禁止した陰陽道が伊達家に残り、生きていたからか。
伊達家と天皇家は、後西(ごさい)天皇と伊達綱宗公とが母が姉妹の従兄弟という縁戚であり、いまもその血は仙台、宇和島に伝わる。
つづく
★★★★★★
伊達家と天皇家の繋がりは深く、仙台開府時にも関わっている、というところまでわかってきたが、
伊達騒動が呪術(陰陽道)にからんでいる可能性が浮上してきた。
でも言われてみれば、三代綱宗さんの隠居させられた理由が、遊興放蕩三昧とは、歴史上作られた話なのかもしれない。
榴ヶ岡天満宮(当時は天神社)が綱宗公により建立され、仙台の「六芒星」は完成するのである。
隠居後でありながら、藩主として責務を果たしている。
その息子四代綱村公が、亀岡八幡宮を建立し「四神」を完成させた。
1660 綱宗隠居
1667 榴ヶ岡天満宮(天神社)建立
1671 寛文事件
1683 亀岡八幡宮建立
~幽峰~
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