広瀬川にかかる宮沢橋。むかし、橋の近くに鎧淵と呼ばれる淵があった。
ときは、奥州藤原氏の時代。鎌倉から攻められた奥州藤原氏は、仙台に陣を張り、鎌倉からの兵と戦う。
いまの榴ヶ岡に本陣を張り、広瀬川に網をはり、川を渡れないようにした。
しかし、こと敗れ、藤原氏は敗れた。いまの広瀬川にかかる広瀬橋から愛宕大橋にかけてが古戦場である。
このとき、藤原氏の武士が広瀬川の淵にはまり、よろい、かぶとをつけたまま淵に沈んでしまった。
それから淵には鎧を着た武士が現れたという。
戦前まで、川遊びにきた少年が鎧淵に潜り、鎧を着た武士を見たという話があった。
いまは、広瀬川改修で鎧淵は分からなくなったという。
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奥州征伐:1189年(文治5年)源頼朝(よりとも)が、奥州平泉(ひらいずみ)藤原氏を征服した戦い。
仙台開府より400年以上前のことです。この時すでに榴ヶ岡の地は防衛施設を置くには最適の場所でした。
榴ヶ岡の歴史は「星の街仙台」11ページ参照。
また、青葉山~愛宕山~長町にかけては、冬至の日の出方向に一致し、古代の太陽信仰、来世への願い、輪廻ラインとも見て取れる。~幽峰
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