予習願います^^
仙台六芒星は、政宗公が来る以前のずっと前からその土台が存在していたことがわかってきました。
ということはグランドクロス上の伊達家の聖地は計画的に築かれ、そこかしこに徳川家康公の影が濃厚になってきました。
政宗以前の支配者国分氏(政宗の伯父)は、根白石地区も統治しており、東西ラインの陽雲寺と諏訪神社は国分氏です。
五郎八姫は、東西ラインの西舘(もとは茂庭綱元の屋敷)に住み、この地区にキリスト教を布教させます。
綱元は南北ラインの洞泉院に隠居。(綱元がキリシタンだった記録はないが、この土地の名前が栗駒文字村)
重広公(国分氏の末子)は、根白石に匿われたあと古内家の養子となり伊達家の筆頭家老にまで昇進。
南北ラインの岩沼を拝領し、竹駒神社では馬市(根白石は馬の産地)が行われていました。
(まだ謎の)高木家は、南北ラインのいわきに関係あり(?)
いわき出身の栽松院は、根白石の白石城で没し墓もある。
政宗の母保春院は、米沢を追われて根白石に匿われ、のちに仙台城へ。
東西ラインは山形を通過するが調査はこれから。
南北ラインの岩出山城といわきの磐城平城は、どちらも家康公により築かれた。
-磐城平を鳥居忠政(徳川家家臣)の本拠地とさせた主な目的は、仙台を本拠地とする伊達政宗への牽制であった。-wikiより
しかも、仙台城のわたまし式と磐城平城の着工が同じ1603年!
また、仙台城の鬼門に仙台東照宮、裏鬼門方向は日光東照宮をかすめる。
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