かつては塩釜神社境内にあった「 ただすのみや」を移したとされる。
四代藩主が、塩釜神社の祭神がバラバラであることを整理させ、祭神を新たに鹿島、香取と決めた。
仙台城から塩釜神社を拝めるように拝殿を仙台に向け、主祭神である 塩土翁神(シオツチノオジ)を、海を背に向かせる現在の形に変えた。
塩釜神社にあったお宮のうち、貴船宮は多賀城に、ただすのみやは泉区にあった古内氏の屋敷跡に移した。
改めて京都の上賀茂、下鴨神社から勧請して、京都の下鴨神社と同じ2社並列の構図としている。
下鴨神社は、天皇の即位を司る神社であり、京都では最高位にあり、伊勢神宮とならぶ地位にあった。
鴨神道の総本山。
実は下鴨神社の紋は、葵であり、徳川家康公の家紋は下鴨神社からきている。
徳川家康公は、賀茂神社の一族という説もあり、家康が将軍家となれたのも下鴨神社の後押しがあったという説。
仙台の賀茂神社には、八咫烏神社もあり、京都の下鴨神社と同じですね。
京都の神社の総元締めである上賀茂、下鴨神社ゆかりの仙台 賀茂神社です。
★★★★★★
30日のバスツアーで寄ります。現在社務所を新築中。春には桜がみごとですね。
この場所の地名は泉区古内字糺(ただす)といい、寛文事件の唯一の生き残り「古内志摩義如」が建てた屋敷跡。
志摩の母親は横澤将監の娘です。
志摩は43歳で没し、屋敷前の慈眼寺に葬られ墓があります。
根白石の福沢御殿跡(現リサイクルセンター)の近くには、貴船神社がありここも塩釜から移ったとされます。
~幽峰~
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