仙台市内にある伊達政宗公の灰塚。
江戸 日比谷の伊達屋敷で亡くなった伊達政宗公。遺体は江戸から仙台に運ばれて仙台北山の覚範寺に置かれた。
遺体は遺言により経が峰に埋葬され、墓の上に瑞鳳殿が建てられた。
空になった棺は北山に運ばれて、そこで葬儀の儀式が行われた。野原での葬儀と伝わり、政宗公の子である伊達忠宗公、宇和島の伊達秀宗公親子などの伊達一族、家臣が参列したといわれ、秀宗公はこれを最後に、故郷である東北にくることはなかったといわれる。
葬儀、法事の後、棺などを全て焼き、その灰を集めて塚を築いた。これを灰塚といい、伊達家の独特の儀式とされる。
由来、始まった時期はよくわからないが、戦国時代には行っていたとされる。
政宗公の他に母の保春院、二代藩主伊達忠宗公の灰塚もあったが、現在は政宗公、保春院の灰塚しか残っていない。
戦後になり忠宗公などいくつかの灰塚が取りこわすことになり、忠宗公の灰塚跡は中学校の敷地になっている。
松島にもあったかも。
灰塚は、四代藩主により禁止されて廃止となり、その詳細はわかっていない。
埋葬した墓と祀る墓の、両墓制に関係あるともいわれています。
★★★★★★
保春院の灰塚は、北山の永昌寺、政宗公の灰塚は同じく北山の大願寺にあります。幽峰
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