明治9年に、仙台の北山一帯が大火となり、東昌寺から輪王寺まで全て建物が焼失します。
この大火で唯一焼け残ったのが、青葉神社と言われている。
隣の東昌寺が全焼したのに、青葉神社は焼けなかった。
当時はさすがは政宗公を祀る神社、政宗公のご威光と呼ばれる。
一部の人は、それは龍神の加護、と話したという。
青葉神社がある敷地は元は東昌寺の敷地だが、半分にして青葉神社(明治7年)が建てられていた。
その敷地には池があり、龍神が住む場所として古くから信仰されていたらしい。
その池は、青葉神社の敷地になり、龍神が青葉神社を守護したともうわさされた。
その池はいまも残り、祖霊社のある池がそれと言われる。
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京都五山や鎌倉五山に倣って、「北山五山」と称される5カ寺 (光明寺、満勝寺、東昌寺、覚範寺、資福寺)。
青葉神社は、神仏分離令により政宗公のご神体を守るために明治になってから建てられた。
東昌寺は、城下建設の際最初に決定された場所で、六芒星の北の頂点にあり、初代住職は政宗公の大叔父にあたる大有和尚。~幽峰
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