古代の人たちは、太陽の動きを緻密に観察し、時間や季節を知り暦を作り、祭事や農業を行った。
太陽を神格化し、崇拝し、二至二分の太陽の通り道に印を置き、聖地とした。
古代の遺跡が直線状に並ぶレイラインは、世界各地、日本にもたくさんありますが、ここ仙台にも見つけました。
写真は、一昨年の冬至です。
愛宕神社の参道を登ってくる太陽が、一番上の鳥居をくぐって、本堂とその後ろにある千躰仏を照らし、そしてその先には、瑞鳳殿と青葉城址があります。
愛宕山の広瀬川側の崖には横穴墓群と宗禅寺横穴墓群があり、そばの大年寺山には伊達家の墓、鎧塚古墳もありますね。
冬至は、太陽が死んで再生する日。政宗公は輪廻転生を願いこのライン上に伊達家の墓を作ったと思われます。
政宗公が仙台城本丸の地で縄張り始めを行ったのは、慶長5年(1600)の12月24日です。
太陽が生まれ変わる冬至を意識して、この日を選んだと考えます。
縄張り始めの朝、政宗公は重臣たちを伴い青葉山に立ち、愛宕山の向こうから登る太陽を崇めたのではないだろうか。
冬至の日の入りは、太白山の向こうへ沈んでいきます。
↓県庁最上階から撮影 太白山の手前に青葉城址
城下の中心から見ると、青葉城の背後に太陽があって、やがて太白山の向こうに消えていくといった、当時の人々にとっては一大エンターテイメント・ショーだったのかもしれません。
星の街仙台的には、元旦の初日の出よりも、冬至の日の出・日の入りが意義深い。
詳しくは、来年1月15日(水)のタピオ館立オープン大学の講座でお話します。(詳細はメニューのスケジュールへ)
~幽峰~
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