仙台にある伊達政宗公を祀る青葉神社。
明治に創建されたが、じつはもともとは違う場所にあった。
江戸後期、藩の藩祖を神として祀ることがブームとなり、各藩が藩祖を祀る神社を建てる。
仙台藩もご多分にもれず、政宗公を神として祀る神社を建てることにし、京都の天皇に許しを得た。神社は天皇の許し、許可がないといけない時代。
また、幕府にも神社建立の願いを出し、ときの老中からも許しを得た。
神社は仙台城内とし、社殿も完成間近に幕府は突然に許可を取り消し、差し止めとした。
理由は定かではなく、ときの天皇が書いた勅額も外され、社殿は取り壊しになる。御神体も移される。
政宗公のお祭りは、墓である瑞鳳殿で行われるようになり、貞山講と呼ばれ、武士、ときには町人も参拝していた。
明治維新となり、政宗公を祀る神社建立が明治天皇より許可される。
神社の場所をどうするか、始めは仙台城内としたが、後に北山の東昌寺の境内地ときまり、青葉神社となりました。
なぜ、東昌寺の境内地と決まったかは定かではなく、御神体を祀る神社が東昌寺の境内地にあったためともいう。
でも、青葉神社の元宮は、仙台城内にあった神社。もしかして天守台にあったかもしれない。
現在、天守台は立ち入り禁止区域である。仙台城内には天守が立つはずの天守台があるからね。
追記
仙台郷土研究 昭和15年9月に
幕末に仙台亀岡に政宗公を祀る神社がすでにあった。天保年間に亀岡に壮麗な社殿ができるが、幕府の命で破壊し、金具を鍛冶町に払い下げとある。幕末に小さな神社としてあったらしく、明治になり、現在地に神社創建とあります。
青葉神社碑の中に、天保初年 伊達斉邦公が仙台亀岡に神社創建するも止めならずという内容があります。
東昌寺境内地には、旧藩士のなかでも、かなりの反対もあったそうです。
佐々 久先生(昭和期の郷土史家、仙台郷土研究会会長、元・宮城県立図書館長)の本では、仙台城北に神社建立したが全て破壊して、青葉神社を再建したとある。いずれにしろ政宗公の神社は一度壊されたわけです。
★★★★★★
このことを知ってる人はほとんどいないと思われますが、青葉神社も転々とした理由が気になりますね。いずれにしてもやはりレイライン上を動いてますね。
~幽峰~
せんだいマチプラ
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2 Comments
峰先生こんばんは‼️
青葉神社にはそんな歴史があったんですね‼️
『せんだいマチプラ』もいぎなりおもしゃいです(笑)次が気になる‼️
ではでは、季節がら流行りにのらないのようご自愛ください❤️
次回も楽しみにしています(。-人-。)
愛さん、まいどでございます。これはなとりのひとさんからの情報で、私も知らなかったんですよね~ドエ~!?ってくらい驚きです。
マチプラには書けない超レアなネタでございます。