政宗公が青葉山に登って縄張り始めを行ったのは、慶長5年(1600)の12/24でした。
戦国の世が終焉を迎えようとしていたが、まだまだ軍事要塞としての側面を持つ築城地を青葉山に決め、数百年先まで記録に残すその記念すべき日を、この日に選んだ理由はなんだろう。
私が「レイライン」を知る以前は、長女の五郎八姫がキリシタンだったことや、政宗公自身がキリシタンに寛容だった背景から、キリスト教が関係していたのかと想像していた。
しかし、仙台開府が徳川家康公と政宗公との密儀によるものだという(星の街仙台的)仮説からすると、城下の聖山である青葉山と古代の太陽信仰を取り入れた”家康公のアドバイス”により、『冬至』を意識したと仮定すれば、納得がいく。
昔は、冬至が一年の始まりとされていた。【太陽が生まれ変わる日】
野心家であった政宗のまつりごとのスタートにふさわしい。
そもそもキリストの誕生日は12/25ではありませんよね。もともとは冬至を祝う祭りがおこなわれていた、つまり日本でいうところの正月みたいなものでしょうか。
冬至に昇ってくる太陽は、今でいう初日の出を拝むことだったかもしれません。
政宗公(&家康公)は、冬至を意識してこの時期に縄張り始めを決めたのではないかと想像します。
天下を取った家康公は、江戸の鬼門に水戸を、さらにその先に仙台を置いたのではないか。
仙台城下の六芒星の中心を貫くグランドクロスのライン上に、家康公が仙台を監視するための城がみっつも置かれたことがわかってきました。(詳細は現在執筆中、来年発行予定)
残念ながら今年は、早朝から曇りで、日の出は拝めませんでした。
去年は、青葉城址から、愛宕山と大年寺山の間から昇るはずの日の出を、水平線上の厚い雲に隠れて、20分後くらいの、大年寺山の上あたりで顔を出してくれました。
正確には119.7°です。
騎馬像の政宗公の顔が、しっかりと日の出の方角を向いているのは偶然でしょうか…
仙台城大手門の復元が決まったようですが、完成までにかなりの年月がかかる模様。
個人的には、「懸け造」を造ってほしかった。伊達家にとって天守に匹敵する重要な建造物であるし、政宗公が見下ろしたであろう城下や冬至の日の出も堪能できる。
観光客にとっても、地元民にしてもこれほど魅力的なスポットは他に考え付かない。
仙台城跡の土地の複雑な権利関係によって、それは難しいようですが。。。
今年3月に開始した星の街仙台オンライン講座は、第43話を持ちまして、一旦終了です。
来年は、グランドクロスをはじめとする仙台藩のレイライン上に置かれた伊達家の聖地をひとつづつ解説していきたいと思います。
新発見もありますのでお楽しみに。受講のお問い合わせはinfo@hexagram.jp