慶長5年(1600)12/24に、伊達政宗公は青葉山に立って城の縄張り始めを行いました。
古代の人々は太陽を神格化し、二至二分の太陽の動きを観察し、直線上に聖地を置いた「ley line レイ・ライン」は、
仙台城下にもあり、伊達家ゆかりの聖地、遺跡、霊山などが並びます。
上図は、青葉城址を起点とした二至二分のラインです。
青葉山から冬至の日の出を見た場合、愛宕山と大年寺山の間から太陽が昇ります。
時刻は6:55頃。角度は南東119.7°
右の鉄塔は大年寺山のテレビ塔。大年寺山は仙台藩主4代以降の墓所があります。
左側の愛宕山は、六芒星の南に位置する愛宕神社と青葉山にあった千躰仏が祀られています。
そして、愛宕山の手前は経ヶ峰(瑞鳳殿-藩主3代墓所)です。
愛宕山、大年寺山どちらも古墳時代の横穴墓群があり、青葉山の裏手は縄文遺跡です。
ちょうど太陽が昇ってくる所が「懸造 かけづくり」があった場所です。
政宗公は、1年の始まりであった冬至に、この場所で太陽を拝み、懸造の位置をここに決めたのではないだろうか。
懸造は、伊達家にとっては天守に匹敵する重要な建造物で、米沢や岩出山の城にも記録があります。
【仙台城下町百景】懸造想像図
夜明け前