青葉山から八木山橋を越えると、八木山地区がある。
八木山は、越路山といわれ、藩政時代には仙台城跡の背後から戦略上大切にされていたらしい。
越路山の払い下げを受けた八木久兵衛が宅地開発を始めて、八木山と呼ばれた。八木さんの山ね。
八木久兵衛は、仙台市にある紅久(べにきゅう)の経営者。八木山をただの山から宅地にした。
仙台城跡と八木山に橋をかけ、八木山橋とし、八木山から仙台市内へ道を通じた。これは当時の日本陸軍の後押しを受けている。
仙台城跡の第二師団から八木山橋、さらに八木山から三神峯にある陸軍幼年学校まで通じることで、陸軍の補給路を作る意味もある。
このルートは、仙台叢書(そうしょ)にある伊達政宗公の御内試にかさなる。
御内試は、伊達家が徳川家康公と戦う際の戦術を描いたもの。
八木山橋がかかる竜の口沢は、仙台城跡の辰の方角にあるところから竜の口といわれた。
八木山は、仙台城跡から辰の方角にあたるのですね。
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幕府に報告していた仙台城の鬼門は、定禅寺を筆頭とする寺社群(新著12~13ページ参照)ですが、なぜか裏鬼門については史料も情報も全く無い。
地図上で正確な鬼門ラインを調べていたが、八木山に気になる場所がすでに在る。裏付け調査中。
幽峰
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