江戸時代、伊達騒動で惨死した原田甲斐。
仙台にあった屋敷は全て解体され、広瀬川に遺棄される。屋敷は現在の仙台地方裁判所の辺りとされる。
広瀬川に遺棄された建物の木材は、広瀬川から名取川に流れ、名取川河口の閖上に流れ着いた。
その木材を拾い、寺院を建てたという。
また、原田甲斐に仕えた下女が名取市閖上の生まれで、甲斐の死後に閖上に帰り、地蔵を建てたという。
東日本大地震の津波により、原田甲斐の屋敷の古材で建てた寺院は流出したが、石の地蔵は残ったとされる。
いまは昔の話である。
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