5代将軍綱吉公の養女として、京都から下り、江戸城に入ります。
しかし、婚約者が立て続けに亡くなり、江戸城にとどまることになります。
8代将軍吉宗が江戸城に入ると、吉宗とは大叔母の関係にあたりますが、恋仲になります。
吉宗公は竹姫を正室にとも考えますが、幕府内に反対意見が出ます。竹姫は6代将軍とは兄妹の関係にあたり、6代将軍は吉宗公にとり養祖父にあたるためです。
吉宗公は、竹姫を改めて養女とし、薩摩島津家に後妻として送ります。
薩摩では、竹姫には子は産ませないなど条件をつけ、吉宗公は承諾したそうです。
竹姫は、薩摩島津家では将軍家息女として扱われ、徳川家から家臣を連れていきます。
後に浄岸院と号し、薩摩島津家では夫の孫にあたる重豪公を寵愛します。
薩摩島津家から将軍家に、正室をとも遺言したらしい。
重豪公は後に息女を一橋徳川家に正室として送り、息女は11代将軍の正室となります。
このことが幕末に天璋院篤姫が徳川家に入る先例となり、篤姫が徳川家に入ることは、実は吉宗公と竹姫に由来することになります。
竹姫は、江戸で亡くなると墓は薩摩に置かれ、鹿児島 福昌寺跡に眠っています。
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